2008年09月05日

そりゃあ、そうだよな~。。

トラックバックで追っていったら、面白い記事を見つけました。
「物理や数学の理論など何の役にも立たない」 http://d.hatena.ne.jp/rikunora/20080408/p1
反論したいところなんですが、何か納得しちゃうんだよね。。

この方は、この結論を最終的なものにしたくないと仰ってますが、引用すると、

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* ほとんどの人にとって、数学や物理の理論は日常生活の役には立たない。
* なので、いやだいやだという人に対して無理強いする必要はない。
* それでも好きな人は、趣味として勝手に勉強すればいい。
* そういう人には「役立つかどうか」の回答は不要だろう。
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ということなんですが、これに真っ当な反論をするのは(私には)困難です。
しかし、これって「数学や物理の理論」というところを、例えば「日本史」とか「古文」とか「漢文」を入れても同じようなことを言えるのかなって思ってしまいました。

でも、「『数学や物理の理論』が好き」というより、「『日本史』が好き」と言った方が変人扱いされないでしょうね。
NHKの大河ドラマでも、「戦国時代」「幕末」「忠臣蔵」を繰り返しやっていても飽きないで見てますよね。
「数学や物理の理論」ファンよりも「日本史」ファンの方が圧倒的に多いですから。。

何が言いたいのかというと、「日本史」も何の役にも立たないということでは「数学や物理の理論」と同じようなものであるということです。(温故知新なんて言いますが、どれほどのものか?)
何故ことさら「物理や数学の理論など何の役にも立たない」と言われなければいけないのか?ここを考えないといけないのかな。。
どうもこの「何の役にも立たない」という言い回しには「憎しみ」があるような気がします。

ええと、「日本史」を例に出していますが、私自身は結構好きなんですよ。
それと、若い人には現代史を学んでおいて貰わないといけないと思ってます。
ラベル:その他
posted by T_NAKA at 00:42| Comment(10) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いやぁ、なんともコメントのしようがないテーマですね。
趣味ですからねぇ
私の親父は、私が持ち帰った古田さんの古代史本から、日本史に興味を持ち
今や田舎の郷土史を出版しちゃいましたから。(隣村には立派な郷土史本があるのに、我が村にはない、というのが理由でした)
さらに無縁仏の中に結構村の歴史的に重要な人物の墓石を発見したとかいって喜んでます。
ありゃ、息子のわたしから見ても、物理が趣味の人以上におかしい。
Posted by 全充 at 2008年09月05日 09:22
学校で習う教科のうち何が「役立つかどうか」ということだと、昔から言う「読み・書き・ソロバン」で十分なのかも知れませんね。確かに常識として歴史・社会・文学や科学等を知っておいた方が良いでしょうが、勉強に苦痛を覚えるほどならば無理してやることはない、という意見はそれなりに筋が通ると思います。ここで日本史という例を出してしまったので、よろしくないのですが、確かに「数学」というのはどこかで躓くと勉強に苦痛を覚えるもので、多くの人がそれを感じてしまっているんじゃないでしょうか?文系の教科は「読み・書き・ソロバン」が出来ていれば追いつけるけど、「数学」というのはそうじゃないので、怨嗟の声が「何の役にも立たない」という表現になるのでしょう。よく考えると「読み・書き・ソロバン」以外は「役に立たない」けどちょっと知っていると人生が少し豊かになるという程度かな?と思います。ただし学問・芸術というのは毒もあって、やりすぎると、人生が曲がってしまう危険もあるので注意しないとダメなんですが。。
Posted by T_NAKA at 2008年09月05日 12:02
はじめまして、トラックバックありがとうございます。
「日本史」とか「古文」とか「漢文」とかですか。
実はこの3科目は、その昔、私の嫌いな3大科目だったんですよ。
学校に通っていた頃は「昔のことなんか今後生きてゆく上で何の役にも立たないから、勉強する必要が無いのだ」と強固に駄々をこねていました。
大人になって、もう点数とか成績とかどうでも良くなってから、がぜん歴史がおもしろくなってきて、やっぱり温故知新に鞍替えです。
T_NAKAさんがおっしゃられるように、そもそも役に立たないって言うセリフの本音は、単に嫌いってことなんですよね。
なので、「役に立たない」が口をついて出るようになってきたら、要注意。
物理も歴史も「そんなに嫌いにならないで」といったような、おおらかな気持ちで迎えるのが一番なんでしょうね。
Posted by rikunora at 2008年09月05日 22:28
いやいや、浅い。無用の用を知らぬわけでもありますまい。
人生で本当に必要なものは、人生にとって最も必要でないものである。
などというと、一部の人に大顰蹙を買いそうだけどね。
数学も物理学も語学や歴史、社会学や文学と切り離してはいけないのだと思う。それらはすべて人間が営んできた生きる智慧と経験の集大成であり、何故我々が今を生きているのかを明確に示す証拠でもある。好き嫌い、得手不得手はあるだろうが、広く学ぶことは無駄ではない。昔の人の高い素養、自立精神は多くはそのような教育が育んだものであると思う。
論語ひとつにしても、その世界観の深さ、人生訓、は一代の生では得ることが難しい。いわんや科学の発達した現代で、その一端たりとも知らずして良かろうと思うのは、自ら耳目を塞ぐ行為であり、目に見えぬ精神を否定する物質主義者と思われてならない。ちょっとオーバーに書きました。
Posted by 明男 at 2008年09月05日 22:54
rikunoraさん、 明男さん、コメントありがとうございます。

数学も物理学も人類の偉大なる遺産であり文化なので、本来ならこれを十分に味わうべきと思っています。音楽などは別に楽器が弾けなくても鑑賞することはできるのですが、数学も物理学も数式という楽器を多少弾けないと理解もできないのが辛いところです。他の学問は「読み・書き・ソロバン」がある程度できると捕捉することができますが、特に数学ではソロバン以上のことをしようとするとコツコツと勉強しないといけません。ここが人によっては「無味乾燥でやりきれない」「こんなことをやって何の役にたつのか」となるのでしょう。
Posted by T_NAKA at 2008年09月06日 12:14
私も学生のころは「日本史なんてただ史実を覚えるだけで何の意味があるのか」と思ってました。だって大体の時代の流れを憶えればよいだけで、詳しいことは本に書いてあるのだから「いい国作ろう鎌倉幕府」なんて年号を憶える必要なんかないし、外国人はこんなことを知らなくても十分生活しているのだし。。と、憶えるのが苦手な言い訳にしてました。この歳になると「歴史は人間ドラマ」という視点で見ることが出来て興味が出てくるのですね。こういうようなことが数学や物理にあると良いのですが。。
Posted by T_NAKA at 2008年09月06日 12:15
「何の役に立つ」て解釈ろいろですが
 知識は人に伝えてこそ知識 って言葉があります
「へえ~そうだったのか!!」と思う瞬間がとても幸せだなと思います。
だから 教えてくれた人に感謝するし 自分も伝えたいなと思っています。
Posted by ねじばな at 2008年09月08日 00:01
私は「役に立つ」なんて基準はいい加減なもんで、「面白い」というのが本当の判断基準になっていると思ってます。では何で多くの人が理系の勉強を嫌うのか?これが問題なんでしょう。算数はついていけたのに、数学になると挫折しちゃうのはxとかyを使うからか?なんて思ってますが、これが良く分からない。
Posted by T_NAKA at 2008年09月08日 00:25
う~ん 挫折した立場[笑)私は 式や問題の解き方が わかっても
途中の計算ミスが 多くて またそれが どこで間違えたのか 探すのがめんどくさくて…そろばん習えばよかったなあと だから息子2人には ソロバン塾が近所に合ったので 行かせました。(笑)
Posted by ねじばな at 2008年09月09日 22:08
私が数学を面白いと思ったのは、xとかyを使うと質面倒くさい問題を簡単にすることができるところでしたね。例えば鶴亀算なんかは「全部を亀だと考えて、、」などという独特の解き方があるのはご存知でしょうが、そんなの一々憶えていられないと思うたちなんですよ。九九を憶えるのも遅かったし、どうも算数は苦手で、ソロバンも駄目ですね。
Posted by T_NAKA at 2008年09月10日 01:08
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